言葉と音楽、そして唄。

台風一過、夏真っ盛り。猛暑も少しは和らいでくれるでしょうか...。

 

このところ、本を読んだり、映画(DVD)を観たり、アートに触れたりという衝動が強くなっていて、本棚に忘れられていた沢山の詩集や写真集、DVDなどを引っ張り出してきては、色々と感じることの多い日々です。

 

その中の一つ、ドキュメンタリー映画"Palavra (En)cantada"(邦題:ブラジル音楽ほど素敵な音楽はない~魔法じかけの言葉~)を、久しぶりにじっくりと観ました。2010年にブラジル映画祭で上映された当時はフランスに住んでいたので残念ながら映画館では観られなかったのですが、2014年にDVD化されたものをめでたく入手。初めて観た時も本当に目から鱗だったけれど、今回はさらに。思わずメモを取りながら見てしまったほど(最初から最後までずっとメモを書きっぱなし、笑)。それほど、ブラジル音楽、特にその歌詞に魅せられた者には、深く、宝物のような言葉に満ちた作品なのでした。

Chico Buarqueが"Choro Bandido"(最近私もLiveで唄っています)の歌詞を自ら解説したり、Adriana Calcanhottoが弾き語ったり、Lenineがポルトガル語の母音について嬉しそうに語ったり、Maria Bethaniaが詩を朗読したり...。音楽の中の"palavra"(言葉)をキーワードに、あらゆるアーティスト、詩人、評論家が様々な角度からブラジル音楽(特にMPB)と言葉、詩と詞、唄について語っています。

私はブラジルの曲を沢山唄っていますが、常日頃から「どうしてブラジル音楽に惹かれてしまうのか、ブラジル音楽の魅力って何なんだろう?」と考えることが多々あります。多彩なリズムや美しいメロディやハーモニーもさることながら、その歌詞。恋愛のことだけでなく、とっても広く深く個性的な表現だったり、恋愛を唄うにしても、その表現がとても奥深かったり。そして、ポルトガル語の独特な響き。それが曲と一体となってgrooveする心地よさ...。そういったことに惹かれて、私はブラジルの曲を唄っているのかなぁと。言葉と曲とが一体となっている(そこに魅力を感じている)のだから、ポルトガル語で唄うしかない。唄うからには、ちゃんと意味を知って解釈し、美しい発音で唄いたい。ということで、nativeのレッスンに通ったり、大学のポルトガル語講座に通ったりもしました。まだまだ勉強中ではありますが、きっとこれからもブラジル音楽の謎を解きたくなるのでしょう。

 

そんな訳で、あらためて、MPBの作曲家、作詞家は本当に知的で言葉への探究が熱心な表現者が多いなぁと。ブラジルそのものは本を読む人はそれほど多くないようですが、文学を題材に、文学からヒントを得て詞を作る人も多く、影響力が強いようですね。中世南仏の吟遊詩人の詩や、ギリシャ神話などにインスパイアされて、時には引用して、唄として表現していく。個人の私小説的なものだけでなく、個を超えた表現が多いのかも。軍事政権時代の、メタファーやダブルミーニングな歌詞(当時の検閲をすり抜けるための特殊な表現)も興味深いし、逆に特に意味のない言葉遊びのような歌詞も、リズムやgrooveが面白いのです。

つれづれと、そんなブラジルの楽曲、歌詞の魅力を考えながら、日本のポピュラーミュージックはどうかしらと、ぼんやり考えてみたり。日本の唄、これまでの唄、これからの唄。私の唄。ぐるぐると考える夏です。