唄い継ぐこと

五月晴れが続いた後は、五月雨。この季節は、新緑が美しかったり、

風が爽やかだったり、本来ならば沢山お出かけしたくなるところ。

でももう少し、ですね。この期間にも限りがあるのが見えてくると、

今だからできることを沢山しておこう!という気分にもなります。

 

スコーンはもう5種類も焼いたし、ミシンでの小物制作も落ち着いてきたところ、

最近はベランダに新しくハーブを植えて育てるのも楽しみになっています。

ミントやバジル、パセリにパクチー、オレガノとフレンチ・ラベンダーも。。

ここ数年はオリーブに水をやるのもままならないくらい余裕が無かったのですが、日々ハーブを摘み取ってフレッシュハーブティーにしたり、料理に使ったり...。とにかく植物には生命力を感じるので、本当に癒されています。

 

それから、無意識のうちに集めてきた(積読になっていた)詩集にも目を通すように。唄に関連してか、日本のものも外国のものも、気づけば手元にあって、「読みなさい」と言われているようで。。とにかく落ち着いて深く呼吸できる時でないと、詩の言葉はすっと入ってこない。でも、読むことで自分の中の何かしらが耕されていく感じがします。写真は、そのひとつ、タゴールの本。インドとバングラデシュの国歌の歌詞になっているほど、ベンガル地方の人々には大きな存在の詩人で、今ちょうど『タゴール・ソングス』という映画が「仮設の映画館」で上映中ということもあり私も先日観てみたのですが、とにかく彼の詩・うたが、老若男女問わず沢山の人々の心に今も生きている、ということが印象的でした。人々の心の奥深くに響いて、人々の心を震わせて、唄い継がれている。そのことに憧憬のようなものを抱きつつ、何か宿題を与えられたような気持ちにもなりました。「唄い継ぐ」ということ。私も、今はブラジルの曲を沢山唄っていますが、そこに何かしらの普遍性を感じるから、曲を伝えたいという思いで唄っている、ということもあります。時代を超えても、人々の属性を超えても、響くものって?歌手として詞を唄い継ぐこと、って?・・もしかして今見当たらないものは自分の言葉で編むことも、時には必要になってくるかもしれない・・。タゴールの詩を読みながら、今はそんなことを考えています。普段、そんなふうに立ち止まって思考することも殆どないので、これはこれで貴重な時間なのかも。そして「仮設の映画館」、こんな時にはありがたいけれど、やっぱり臨場感を味わうにはもう一度、この作品も映画館で観たいな。
 

さて。色々なものに触れて、色々と思考・思索をして、その後にどんな唄をうたいたいと思うのでしょう。

同じ唄でも、その時々によって、感じ方・捉え方・言葉の入り方、が違ってくるのが唄の解釈の面白いところ。

音楽家の皆さんは、きっと同じでしょうね。このコロナ後に、音楽にどんな変化がもたらされるのか。楽しみです。

 

私の次のLiveは6/19(金)、おなじみ日暮里の隠れ家Bar Portoにて、7弦ギタリスト尾花毅さんとのDuoです。
3月から延期になってしまったこのLive、今回はもし通常のLiveが難しくても、何らかの形にしてお届けしたいと思っています。

この期間に素晴らしいオリジナル曲を沢山生み出している尾花さんのギターも楽しみですし、何よりDuoでの演奏を

私自身もとても楽しみにしています。この時間を経て、音楽に深みが増していきますように。じっくりゆっくり育てます。

6/19(金)の開催状況・内容についてはまたあらためてお知らせしますね。皆さんもあと少しStay Safe、ご自愛ください!